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| 第1章 “北の国から”の黒板五郎さんにあこがれて… さかのぼれば1990年春に結婚し、東京のアパートでごくごく普通に暮らす共働き夫婦でした。 ところが約2年後のある日、「実は転職したいと思ってるんだ…」ときりだされましたが、今の仕事が不向きだとよく聞かされていたので私はさほど驚くこともなく 「やってみなよ、1度しかない人生だしね。」と答えました。 そして数日後、夫はその私の言葉にやけに開放感を持ってしまったらしく、今度はあっさりと 「なんかさー農業やってみたいんだけど」 それはまさに脱サラ宣言でした。不安でないと言ったら嘘になりますが、二人とも都会暮らしはむかないし何より夫の「自分自身の足で大地を踏みしめながら生活してみたい」その言葉に私自身も興味を持ち始め、そこから私たちの七転八倒の農業への道がスタートしてしまったのです。 農業の“の”の字も知らないのにー! 「どうして農業を選んだのですか?」 夫はそんな質問をよくされて最近はどう答えていいかわからず 「北の国からの黒板五郎にあこがれてしまったんですね。」 ウンウンそれも事実。 嵐になろうが日照りが続こうが天気予報には目もくれず、“北の国から”を没頭して見ていたあの頃を時々懐かしく思い出します。 |
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第2章 夢と希望にみちて南伊豆へ… さて農業への道は決断したもののお金はない、土地はない、技もない、おまけに二人の親類縁者に誰も農家はいないときてるのでコネもなし…となれば普通は「やっぱ無理か」となるはずですが、そこが長所か短所かわかりませんが、なんとかなるはずと信じて疑わずいろいろな本や雑誌を見ては研修させていただける所を訪ね歩きました。 その中で1番心魅かれたのは南伊豆の農場…まるで日本昔ばなしにでてくるような風景、そして 「空家はたくさんあるし技術から販売のノウハウまで教えます。」その力強い言葉にすっかり吸い込まれ、ひと月後にはアパートを引き払い夢と希望にみちて南伊豆にとんでいました。アーそこからが悲劇の始まり。現実を思い知らされます。空家なんてありゃしない とにかく近所でも評判のとんでもない農場でした。(現在は、存在しません。) そしてわずか2ヶ月でその農場から離れましたが、すっかりそこを頼りにしてきただけに頭は真っ白。なんでこんなことも見抜けなかったのかと自分を責めもしましたが、簡単にあきらめて東京に舞い戻ることだけはしたくない、決意を固めて南伊豆に来ただけに私たちはかたくなでした。 |
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第3章 家の中でのキャンプ生活 家の方は、なんとかみつかりましたが、雨が降ると土間が川になってしまうようなあばら家。 でもし方なく仮住まいすることになりました。季節は冬だったので夜は寒いのなんの、それに家の前には川が流れ (チョロチョロ流れる小川ではありませんよ。ゴーと滝のようにすさまじく流れる大きな川です。) 湿気が多いせいかムカデの出現がこれまたすさまじく上からポトッと落ちてきて何度悲鳴をあげたことか…そんなわけで、とうとう耐えきれず家の中にテントを張ることに。そしてようやく快適な眠りが得られるようになりました。 ある日こんな事件も…すっかり寝入った真夜中のこと、ゴソゴソ何やら物音が…驚いて目が覚めドキドキドキドキ、でもこんな金めの物もなさそうなあばら家に泥棒ってこともないよなーなどと思いながらも心配になり、夫を起こすと夫はいきなり近くにあったほうきを持って 「誰だー」 とすごい勢いでテントを出ましたが、人の気配はまったくなく不可解なまま眠りにつきました。 翌朝起きてあたりを見回すと、あれっ昨日久しぶりに町に出て買ってきたおいしい食パンが袋だけを残してあとかたもない…よく考えたら夜中の泥棒は、その頃時々出現していた“イタチ”だったことが判明。にっくきパン泥棒と思いきや、冷静になってみると動物たちが先に住んでいて私たちがそこを荒らしたのかも…そう思ったら夜中の出来事が急におかしくなってプーッとふきだしてしまいました。今でも笑い話です。 |
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第4章 野菜セットの宅配便“あした畑”誕生 そんな生活を始め夫は落ちこむことも多かったですが、私は逆に開き直り最低限の生活費だけは稼がなければと思っていた時、まさに捨てる神あれば拾う神ありで、ちょうど生鮮の仲卸の会社に勤める親切な方に出会い紹介していただき、事務員として働けるようになりました。 おまけにその方の使っていない持ち家をかなりの破格でお借りできることになり、曇っている私たちの頭上にパーッと明るい陽ざしがさしたように思いました。人に対して不信感ばかりが募る中、その方は唯一信じられる太陽のような存在でした。今でも感謝の気持ちが薄れることはありません。 その後、夫も人手を探している観光農園を紹介してもらえて、まかせられた農園管理の仕事の中で野菜作りを1から勉強することができました。 このまま共働きで最低限の収入を得ながら田舎暮らしという道もあったかもしれません。でも夫は自分で経営してみたい、脱サラしたいという思いがまったく揺らぐことはありませんでした。 それならばやるっきゃない、 「友人でも知人でも、できた野菜をちゃんとした形で送らせてもらおうよ」 私は夫の背中を押しました。そして、その約1年後の1994年7月から私たちの夢でもあった少量他品目のこだわり旬野菜を、生産して宅配する形をようやく実現したのです。農園名は“あした畑”。 農業に明日はないと言われる中、“明日のある畑を作っていきたい”そんな願いをこめて… |
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第5章 新天地!茨城県大洋村へ こんな私たちの行く末を案じてかサラリーマン時代のお世話になった方々や友人知人の協力で、まわりの人に紹介もしていただいて少しずつ件数も増えていきました。宣伝する費用もないので本当にありがたいことでした。 しかし、ここでまた問題勃発!風光明媚な伊豆では平坦な農地が少ない為、規模拡大が難しいことがはっきりとわかってきたのです。このままでは私が外で働き夫が細々と農園を続けていく状況は変わらず2度目の場所探しが始まりました。 でも頼るあてもなく、ポンと飛び込むことがどれだけ困難なことか伊豆にきて思い知らされていたのでなかなか前へは進みませんでした。少々あせる中、やはり親に頼るしかないか…不本意ではありましたが早めにリタイアしここ茨城県大洋村で田舎暮らしをしていた両親に相談すると、すぐに骨を折ってくれて何とか農地が借りられそうとのことで、1995年9月に今度は舞台を大洋村に移す運びになりました。実際には、農地確保も融資をうけることも楽ではありませんでしたが親の協力で乗り越えられ、まさに救世主でした。そしていよいよ本格的に二人でスタートラインに立つことができたのです。 南伊豆での2年半は不安定な毎日でいつもドキドキハラハラ、落ち込んで大泣きしたかと思ったら大笑いしたり…でもたくさんのことを学んだ一生忘れ得ぬ貴重な時間でした。そして、身内も親戚もいない土地で、どこの馬の骨ともわからない私たちに手をさしのべてくださった、たくさんの方々にただただ“感謝”のひと言です。 |
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第6章 無我夢中の日々 “とにかく軌道にのせなきゃ”今度は借金をかかえながらのスタート。夫の顔つきは厳しいものに変わっていました。私はそれに引きずられるように毎日真っ黒になって無我夢中の日々でした。会員の皆さんとの良い関係を築こうと畑の様子や私たちの思いを綴った通信を書く為、机にも向かいました。 こだわった土づくりが実ったせいかおいしい野菜と言っていただけるようにもなり年々会員さんも増え4年後には、なんとかこれで暮らしてゆけそうな目途がたち胸をなでおろしていた矢先…臨界事故でまさかの風評被害。 実際には何の影響もないのに、茨城県に原子爆弾でも落ちたかのようなマスコミの異常な騒ぎに不安を感じてしまった方々が次々と離れてしまいました。 正直あの出来事は、それまでのどの出来事よりもしんどかったです。 農作業をしながら涙があふれたこともしばしばですが、励まして下さる方も多く、本当に本当にありがたかったです。 その後、落ち込んだ売上をなんとか元に戻そうと、鶏を飼い卵の販売やお米を取り扱うなどまた奮起し頑張った結果、元の状態に戻ったものの景気の低迷、野菜産直の増加などでなかなかその状態を維持していくのが難しくなりました。そして私たち自身も常に頭から足の先まで張り詰めているようなそんな状態に限界を感じ始めていました。「自分たちの夢ってなんだったっけ?」 全面的に立て直しを計ることは、本当に勇気とエネルギーのいることでしたが、将来を考えもう1度夢を持ってみよう…2年迷い探しあぐねた結果、苺の栽培にたどりつき2004年5月、野菜の産直“あした畑”にちょうど10年をもって終止符をうちました。 |
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第7章 “あしたばたけ農園”として新たな出発 一息つこうなんて思っていたらとんでもない、苺の苗づくりはすでに進行形。夫は、苺農家の先輩方に食らいつくように教えていただき、まさに1シーズンは体当たりでした。 面積が少ないので直売は必至、直売ということは味が命です。今までの土づくりを土台にあれこれ思い悩み苺がとれるまでは生きた心地がしませんでしたが、運良く道路沿いに直売所となる場所が借りられ、そこに来ていただいたお客様方が試食の時に「おいしいー」と顔の表情を緩めてくれる度、肩をなでおろしました。 そして、2005年8月もっと多くの方々に知っていただきパワーアップしようとホームページを開き、研修生を含め3人で冬の収穫に向けて張り切っています。 新規就農は、不利なことも多いしハンデも大きいけれどそればかりを呪ってもし方ない、好きで始めたんだから…でも私たちにしかできない農園がきっとあるはず… 「涙の数だけ強くなれるよ」という唄の文句がありますが、もうそろそろ涙ではなく心の底から笑顔になりたいと切に願い今日も走り続ける農夫婦です。 |
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